母なる大地

2013年11月30日 0 投稿者: seiko

2014年1月5日の朝刊に、年末年始をふるさとで過ごした人たちのUターンの車のテールランプの列が川のように延びた写真が載っていた。

私も、盆・暮には乗車率120%の新幹線「やまびこ」に乗り、夫と三人の子供等と、今は亡き父母のもとへ帰省していた。今は懐かしく思い出されるばかりである。

私は中高生の頃、室生犀星、石川啄木などの故郷を恋うる詩歌に出逢った時、いつも思っていたのは、ふるさとはそんなに素晴らしく有難く、又、思い出深いところなのだろうかと不思議でならなかった。当然、その頃は、父母と兄姉、家族一緒の暮らしで田舎に住んでいた。故郷が有難いものだなどと、一度たりとも思ったことがなかった。

やがて大人になり、田舎を離れた時に初めて、田舎が「ふるさと」に変身をした。僅かではあったが、初めて父母の有難さを知った。姉妹で遊んだことなどを時折思い出すようになった。若い時はこんな程度であったが、年齢を経るに従ってその思いが募って行った。そして父母が他界した今、あまり訪れる機会も少なくなったが、ますます「ふるさと恋し」になって来ている。

十年程前、体調が勝れないことがあった。田舎には既に父母は亡く、兄夫婦の時代であったが、暫くお世話になることがあった。兄夫婦も山も川もすべてが私を受け止めてくれた。心が晴れた。大らかになった。本当にありがたかった。日一日と薄皮を剥ぐように快復に向かって行った。

ふるさとは苦しい時哀しい時、どんな時でも黙って全てを受け止めてくれる「母なる大地」なのだろう。大海原でもある。


いとこの話である。90歳になる母親がいる。私にとっては叔母である。

孝行娘のいとこが、「何処へ行きたい?」と聞くと、答はいつも同じ、「田舎。」と言うのだそうだ。別にボケている訳でも何でもない。身体は丈夫で、頭の方もピンシャンとしている。何回行っても行きたい所はもう「ふるさと」以外に無いらしい。