六十路の手習い
1月15日、新聞で新春恒例の「歌会始め」を見た。
新玉の年を迎えた大和の国、日本にこれほど相応しい優美な行事は他にないように思われた。
皇室と一般の国民が一体となる行事はそうはないのではないだろうか。
これはとても喜ばしいことに思える。
天皇陛下、皇后陛下はじめ皇族の方が揃われ、明治以来の古式ゆかしき歌会が静寂の中で厳かに始められた。
今年のお題は「静」であった。
朗々と部屋一杯響き渡る声でまず天皇陛下の御製歌が披講された。
「慰霊碑の先に広がる水俣の海青くして静かなりけり」
いつもお優しく国民を思われている御製歌は陛下らしく、私に安らぎを与えてくれた。
又、皇后陛下と皇族11人の方の日頃の心情が伝わり、僅かながら一歩私達に身近に感じられた。特に雅子様の
「悲しみも包みこむごと釜石の海は静か水たたへたり」
は三年前の大震災に心を開けてくれ、ご自身の病の快復の兆しが見られるようで心を和ませてくれた。
そして、入選された10人の作品は、私が口にするのも憚られるが、それぞれ流石と思わせる和歌ばかりであった。
その中でも、若い方の歌はとても素直で平易に詠まれているのに驚いた。
「続かない話題と話題のすきまには君との距離が静かにあった。」
特に高校生の加藤光一さんの作品は韻文というより、正に文章を切り取った散文そのままのように思えた。
それでいて、心に響くものがあった。要は人の心を打つ感動を与える31文字であれば良いのである。
全然勉強したことのない私がおこがましくも自分でもやれるかもしれないと思ったりする程、身近に感じたりもしたものである。
ここからは私にしみじみ語ってくれた友人の話である。
言うまでもなく「私」というのは友人のことである。
この歌会始めに決まって懐かしく思い出される高校時に教わった古文の先生がいる。一目お目にかかりたいと思うが、今はもう鬼籍に入られたと旧友に聞いたことがあった。
私が高校生の時の前述の先生が何とこの歌会始めに入選されたと評判になったことがあった。
「ふうん凄いなあ」と思ったことはあったが、心から「本当に凄いことなんだなあ」と思うようになったのはここ20年程である。
大変熱心な先生でよく短歌のご指導をして下さっていた。でも当時あまり熱心な生徒ではなく、時折一つ、二つ見て戴く程度だった。今頃になり、大変な偉い先生に教わっていたのだなあ、もっと勉強しておけば良かったと悔やまれるのである。
それから一ヶ月ばかり経た。
そうだ、悔んでばかりいても仕方がない。もうすぐ春だ。カルチャーセンターの新年度の短歌講座を受けてみようと思い立った。60、70才の手習い、悪くない。夫も子供も喜んで応援してくれるだろう。
鉄は熱いうちに打てである。
私は早速カルチャーセンターのダイヤルを廻した。
