経済の原理
夫婦して珍しく東京へ出掛けた。
仕事で毎日東京通いをしている夫を連れ出すのは容易なことではなく、しぶしぶついて来る有り様だった。
北の丸公園の大銀杏がでんと構え、その貫禄に圧倒されてぐるりと一回りしてみた。
千鳥が淵や靖国神社の桜紅葉は終りに近かったが、日頃、大方は家にいる私の心を大きく開いてくれた。
大した昼餉にも出会わなかったが、大満足の一日であった。
そして帰り道、電車から降りようとすると、夫は「定期券」が無いと言う。それでも少しは慌てた様子だったが、私は「あ、又やった」と落ち着いたものである。
この落ち着いた私になるまでには、過去何十年かの歳月に、夫の定期券や財布の紛失を十回ほども経験させられていた。
実は、本当に困り、最初は驚きもし、呆れ果て、遂には諦めざるを得なくなり、現在に至っているのである。これは夫の性格と言おうか病気なのだからどう仕様もない。
二人して最寄りの駅の落し物受付に行き、夫はもろもろ話をし、ややしょんぼりしていたようであった。
駅員は丁寧に応対してくれたが、まだ届け出はなく見つからないと言う。仕方が無いので登録を済ませて帰宅することにした。
「僕が財布なり定期なりを落して損をすれば、誰かが拾い得をする。」、これが経済の原理だと言うのである。さすが経済学部出身、立派な理論である。そして、人様の為になっているというのだから、大変なボランティア精神の持ち主である。流石に私の夫だけのことがある。実は、例の「気をつけることの出来ない彼」の名言なのである。
時には御親切な方もいらして、有難いことに届くこともあるが、届かないこともある。フィフティー・フィフティーである。さて、今回はどうなることやら、「楽しみの日」は暫く続くようである。
