畏怖するもの

2013年10月31日 0 投稿者: seiko

気温というものについては、特に、春、秋の気持ちの良い季節で暑くも寒くもない過し易い時期にはあまり気にならないというのが、私個人の感じるところと言える。

ところが、これが夏の30度以上、冬の十度以下となると途端に体に感じ、たった一度のプラスマイナスに我慢がならないとばかり気になって来る。「今日は何度だ」と朝刊の天気欄を逸早く開き、目を光らせるようになる。情けない話だが正に一喜一憂、心が左右されることになってしまう。

地球温暖化と言われて久しいが、今年の異常気象の最たるモノが台風であろう。何と言ってもその回数の多いことには驚かされた。台風の最中にもう次の台風が来ている有様であった。伊豆大島のように死者が36名余も出る大惨事まで発生している。そして又、夏には最高気温を出している熊谷市の竜巻など。例年にはほとんど見なかった災害まで起きるなど異常事態は枚挙に暇がない。

もう神も仏もあったものではない。何かが狂っているとしか言いようがない。

二年半前の東日本大震災とは比較のしようもないが、それでも肉親を失ったり、家を失った人が様々な思いで、言葉では尽くせない苦しみや悲しみの日々を送っておられるだろう。こうした被災者の方々を思う時、私の心は留処もなく痛み、言葉を失ってしまう。

これほどの科学の発達した時代に自身も台風も食い止めることが出来ない。津波も竜巻もその他、諸々の災害もである。起こってしまえば不可抗力としか言い様がない。

だが、それで良い。天災は人智の及ぶところではないのだ。それが自然界と言えよう。

前述の被災者の方々には怒りを買うであろうが敢えて言わせて戴いた。

驕ることなかれ。人間には畏怖するものがあってこそ良い。自然と共存するのではない。それ以前に自然があって人間が存在すると言えるのではないだろうか。

つくづくと生かされている小さな自分を省みるのであった。