遅いということはない
夫は非常に不器用な人間である。
詩人の萩原朔太郎もそうだったらしい。何か頼むと物を壊すので、初めから頼まなかったという逸話が残っている程である。何10年も昔の話であるが。
結婚して2日目の昔のこと、柱に何か掛けようと思い、夫に釘打ちを頼んだところ、「大工を呼べ」と言うのである。まだ若く従順であった私でも、釘一本でどうして大工さんを呼べよう。結婚前、私は釘打ちの経験をしたことがない。が、やってやれないことはなかった。それ以来、10年に一度もないが、1、2本の釘打ちは私の役目になってしまった。
他のことを夫に頼んでも似たり寄ったりで、私も決して器用ではないが、夫よりはややマシと自分で思っている程度である。前述の朔太郎の話のように、壊されるよりはと些細なことは私がやろうとするのだが、ままならぬことが多く、結局はパッキンの取り替えも、網戸のずれもみな近所のおじいさんに頼んでいた。昔、大工さんだったそうである。暫く御親切に面倒を見て戴いていたが、その方が亡くなり、今は専ら便利屋さんに助けられている。
ある日、3日ばかりの旅から戻ると早々に、夫が「時計の電池を入れ替えておいたよ。」と言うのだ。「まあ、ありがとう。」と言ったものの驚いてしまった。内心、「やればやれるではないか。」と思った。
私は夫に不器用のレッテルを貼り、長年甘やかして来たようだ。これはいけない。一念発起である。これからは時々留守にし、夫の教育をすることにした。「新たなことをやるのに遅いということはない。」という立派な格言があるではないか。
次の旅行が楽しみになって来たのは言うまでもない。
