超ミニミニ版旅行

2013年11月30日 0 投稿者: seiko

時たま姉と旅行をすることがある。別に話し合った訳ではないが、旅先では二人してあまり物を買わない。特にケチっているというのでもないが、家を狭くしているガラクタを思うと買えなくなるのだ。それを忘れ、時には衝動買いをすることも稀にある。昔はデパートごと欲しいなどと言っていたのだが、年令のせいか、今はそれ程物を欲しいとも思わなくなって来た。

ところが前回の九寨溝旅行で、姉はスワトウ織というかなり値の張る帯を買ったから大したものだ。死ぬまでの着物と帯を持っているというのにである。もともと外出好き、言葉を変えれば好奇心旺盛な姉ではあるが、立派な帯を締め、お洒落をしてまだまだ外出しようというその意欲には驚かされた。

そして私のことであるが、母の日に娘は何焼きかは忘れたが、立派な皿をプレゼントしてくれると言うのだが、我が家の食器の山や棚のスペースを考えたりしているうちに「もう要らない。」ということになった。これが40代の私だったら、有難く戴いたであろうにである。結局は気持だけということで貰わないことにした。これはもう、物欲があまり無いというマイナス思考かもしれないと後で思ったりしたものだ。

お洒落とか物欲とか、好奇心や意欲、これら全てがある意味で若さの顕れなのであろうと思う。人はこれらの気持のあるうちは、まだ生き生きとしていることが出来る証と言えよう。

冒頭の旅行もある意味で意欲であり、好奇心である。何も何日間もの海外や国内旅行とは限らない。家から一歩外に出たら旅行なのだ。国内旅行から東京近郊へ、東京から我が街へ、突き詰めれば外出すること、散歩すること、これら全てが旅行なのだと考える。散歩はその最たる超ミニミニ版旅行であって、何か発見がある。小さな菫を見つける、小鳥の鳴き声を聞く、人に出逢う、全てが脳の活性化であり、改めて日々の散歩の大切さを思ったことであった。

明日から夫を巻き込んで朝の散歩の実行あるのみだ。私達夫婦の老化を少しでも遅らせることになりそうだ。

わが寿命の長短は解らないが、これからの人生を楽しく生き生きと過ごそうと思う時、超ミニミニ版旅行で足腰を鍛え、誘ってくれる友人や知人のいるうちは出来るだけ外に出た方が絶対に良さそうである。

今夜あたり、又姉からのお誘いの電話が入りそうな予感がする。