受援力

2014年1月31日 0 投稿者: seiko

1月初めの朝日新聞の天声人語に前後は省くが、ボランティアを受け入れる力、「受援力」という語が載っていた。造語であろうが、「援助を受ける力」という意味であろう。

いくらボランティアをしようとしても、受け入れる側の力、つまり体制がなければ成立しないというのであり、尤もな話である。

ボランティアのミニ版である人の好意について時々思うことがある。

電車やバスの中で席を譲られた場合、「ありがとう」と素直に喜べないと新聞の声の欄か何かで読んだことがある。

「いえ、いいですよ」と断る話も多いと聞いたことがある。

「自分では若いつもりでいても、他人の人の目には年相応に映るらしい」その事がどうも気になるというのだ。特にそれが初めての場合は、有難いどころか一瞬ショックを受けるらしい。これが私達女性高齢者の本音ではないだろうか。

それが卒寿、白寿ともなれば又別で、素直に感謝の念が湧くのであろうが…。

自慢する訳ではないが、私は幸か不幸か、自分自身の具合の悪い時もまだ席を譲られたことがない。

私も初めて席を譲られた場合は正直かなりショックだろうが、素直に「ありがとう」と席に座らせて戴くことにしようと心に決めている。

別に偉そうに言っているのではない。

他人から聞いたり、投書を読んだりしているうちに、その心づもりが出来て来ただけのことである。

付言すれば、折角席を譲って下さった方の好意が無駄になったり、座が白ける場合もあるかもしれない。ましてや中高生の男子や女子だったら相当の勇気を出して言葉を掛けてくれたはずだ。本当に有難いことである。

この様な親切に対して素直に受け入れる力、即ち冒頭の「受援力」がなければ、ボランティアも好意も成り立たなくなってしまう。

私達は既に赤ちゃんを抱いた人や、体の具合の悪い人や、目上の人に席を譲って来た。

と同時に他人の好意に感謝し、素直に甘えて、受け入れるということも同じように大切なことと思う。