優しい私
私は根っからの楽天家というのか、立派な宗教家の大先生のおっしゃることを傾聴しているわけではないが、過去を悔む、現在を悩む、明日を患うとか面倒なことはしない。
要は余計なことは何も考えない性格を持つ。
ましてや何も世を拗ねるとか、刹那的に生きるとか、確固たる信念があるわけではない。
妻に言わせると考えないのではなく、ただ単に考える能力が欠如しているのだそうだ。
考えられるのは、精々今晩の飯と酒ぐらいのものだ。
斯様な私に、ある日、妻が健康食品の申し込みでもしているのか、懸賞問題の応募でもしているのか、
「私、今何才だっけ?」
と聞く。優しい私は丁寧に
「数えで○○才。満で○○才。来年は・・・」数えようとすると、突然に妻が切れた。
唖然とする一方で何やら不穏な雰囲気になった。
「私だって女性よ・・・」
おっと、これは失礼、妻とは知っていたが、女性とは失念していた。
よくよく聞いてみると、今現在しか考えられない人が、どうして私の年令だけ先が読めるのかという訳なのだ。
なる程大したものだ。流石に良く私を見ている。
しかしである。そこまで仰いますなら、まだ認知症の気配もないようなのに、自分の齢ぐらい、自分で覚えれば良いのではと思うのだが・・・。
これが年に何回か繰り返されるから堪らない。
年令を覚えない妻がおかしいのか、優しい私が悪いのか、懐手にハタと考え込んでしまうのであった。
