先見の明
私は、子供等の教育についてなんて考えたことも思ったこともないが、一つだけ妻に褒められ、子供等に感謝されていることがある。
「先見の明」があった、という。
それは今を遡ること3、40年前、子供等が「マンガ」を読むことに賛成していたことだそうだ。というより、実を言うと、私自身好きなだけだったのであり、勿論、今現在もだ。当時、小説よりマンガの方が、語弊があるがワンランク落ちるものと考える風潮があった。現在ではマンガの存在感が十二分にあると思う。
「ゴルゴ13」「ブッダ」「美味んぼ」等々数え上げたら切りが無い。子供等の成長と共に様々なマンガを買って行った。シリーズものもズラリと揃うようになった。が、それ以前に妻も私も読書好きと来ていたから、正に我が家の二階が落ちるのではないかと、心配なところまで本の蓄積が増大して行った。
断捨離などの語が無い20年程前、妻は私の学生時代の薄茶色になった専門書や洋書をはじめ、妻自身の本も殆ど棄てた。
「君には蔵書というものが無いの?」
「ごめんなさい。私も本が好きだから貴女の気持は解るけど仕方が無い」というのである。そして、次の三つの決め事を掲げた。
- 今現在使っていない本は、大切な本でも捨てる。
- 解らないことは図書館で調べる。(当時はまだ、一般家庭にパソコンが普及していなかった。)
- 本を買った場合は、読んだら捨てる。
以上が本を増やさない方法だと、妻の言。
ところがである。
捨てられないで本棚の王座を占めている本があるではないか。何とこれが「マンガ」「マンガ」なのである。もしかしたらマンガ店を開けるのではと、思う程である。
私「なぜ捨てないの」
妻「子供等に殺されるから」
先見の明があったなどと煽てに乗っている場合ではなかったのだ。今このマンガの山に囲まれて私自身一人溜息をつくのである。
「僕等の大切な宝物だから、決して捨てないで」という言葉を残し、子供等は立派に巣立って行ったのであった。
