餌やり
運動が死ぬ程嫌いと来ている。それでも20年程昔から家の辺りを一時間ほど散歩している。
いつも行く医者は、「毎日歩いていたら雨の日は落ち着かないでしょう。」と言うが、それがどうして嬉しく飛び上がらんばかりだ。
又、他の医者は、毎日歩かなくても、気の向いた日だけでいいというがとんでもない。無理をしなかったら、一日どころか、一分も歩かない。
それでも健康でありたいがため、ウォーキングを続けてきたが、今はジムが休みの日だけ歩くことにしている。
その運動嫌いが12年程、ジムに週3日程通っている。友人は休みたい時はたまに休むというが、私は特別な用事がない限り行くように努めている。
前述の散歩のように、休みたい時に休んでいたら、毎回休みになり、終いには退会になってしまうからである。
運動が「嫌いだ嫌いだ」から、「好きだ好きだ」とプラスに変えろと友人は簡単に言うが、これが出来たら世話がない。健康維持と言う大きな目的があるから、一所懸命やっているが、筋肉の衰えは防ぎようがないのだ。
運動の最中に常時、考えていることがある。いや考えられて来るのは、「昼、家に帰ったら何を食べようか」というただ一つのこと、そればかりである。大した食べ物があるわけではない。昨夜の残りのシチュー、ケーキにあんぱん、冷蔵庫にはアイスクリームもあるはずだ・・・と。
猿でも海豚でも芸をしたら餌を貰うではないか。象の玉乗りだってバナナを貰うぞ。頑張った後はみなご褒美に餌を貰うのだ。私だって頑張った後には自分に餌をやってあげなければ・・・。明日もあることであるしと非常に前向きなのである。
と、12年考え、12年実行して来た。これからもジム通いの続く限り、私の私への餌やりは続くであろう。
昨日、インストラクターに新しい運動器具の使い方を一つ、二つ教わった。とても丁寧に説明してくれた後、インストラクターは
「運動をしている間に、昼ごはんのことや、食べ物の事を考えてはいけませんよ。終ってから考えて下さい。」と言う。
「???」インストラクターは超能力者か、霊能者か、はたまた透視眼があるのか。
どうして私の心の中まで読めたのだろうか。
12年通って初めて聞くインストラクターの言葉であった。
それとも私の顔に苺の絵でも描いてあったのだろうか。
