鈴木夕顔
公園などで遊んでいる可愛い猫を見かけると、すぐに駆け寄って撫でてしまっている。
喉をゴロゴロしたり、お腹を見せたりして、猫の方もまんざらでもなさそうである。
暫くそうやって遊んでいると、猫の方も名残惜しいのか、私が帰ろうとすると後を追って来るのである。何しろ、猫には好かれる質である。
これまでの私の人生は、ほとんど猫と共にありき、と言っても過言では無いようにも思えるが、ここ5年程は飼えずに今に至っている。
私が物心のついた5才頃であろうか、もう既に田舎の家には猫が居た。しっぽをひっぱったり撫でたり、頭を叩いたり、手でご飯をやったりの友達であった。この時の猫は確かトラだったように思えるが、このトラとは中学生位まで一緒だったように記憶している。
そして、私が高校生になった頃、児島明子さんがミスユニバースに選ばれ、一躍時の人となった。その時貰われて来た猫は三毛であったが、何とミスユニバースの彼女より美しかったのだ。名前は勿論「美々(みみ)」である。この名は姉が付けたのだが、この猫がわが家の一員となった時、家中が大騒ぎし、家族会議で決められるのが名前であり、人間の親があらゆる願いと望みを込めて子の名前を付ける命名、正にこれと同じなのである。
その後、美々は美しく成長していったが、やがて、美々を実家に残し、私は結婚という猫との別れが来て、私は家を出た。そして、三人の子供に恵まれた。
ある日、生後一週間程の今にも死にそうな白猫を子供達が拾って来た。元気になるまでの一週間程という約束で面倒を見ることにした。哺乳瓶や粉ミルクを買い、てんやわんやで育て、予定の一週間はあっという間に過ぎた。まあ元気かな、一人立ちしても大丈夫かな、というところまで来ていた。すると、三人の子等は、まだ可哀相だ、真っ白だから美人になるなどと、何や彼やと理由をつけて家から追い出そうとしないのだ。
実は、何と言っても私自身無類の猫好きで別れ難いのである。子供等の押しに負けたかのように、見た目はしぶしぶと、内心はニコニコと飼うことにした。この前に飼っていた猫が行方不明になり半年ばかりの頃であり、私がいずれペットショップで猫を買おうと思ってはいたものの、差別する訳ではないが、まさか出自の定かならぬ野良を飼うことになるとは思っていなかった。
勿論、まず名前である。子供等には特に名案が無さそうなので、これ幸いと私が名付け親になった。何と言っても真っ白なので、源氏物語の好きな私は夕顔の名前を頂戴し命名することにした。
夕顔は日増しに可愛らしくなっていった。その染みの一点も無い白い毛のフワフワの肌触り感、黒曜石の瞳で私を見つめる。夕顔はすっかり私達一家を虜にしてしまった。
ミルクを飲んだとか飲まなかったとか大問題である。三人の子の誰が抱いて寝るのか、これ又大問題で、遂にじゃんけんで決め、順番に子等のベッドに入ることになった。
道草をくって来た子は早々に帰るようになった。一度は見えなくなり大騒ぎしたこともあった。何しろ小さいのでタンスから小さい抽斗まで全部捜した。結局、夜になり、押入れの布団に小さく丸くなりスヤスヤ眠っているのを発見して、子等と大喜びした。まだ鈴を付けていなかったので、慌てて鈴を買い、首輪に住所氏名をつけるようになった。女の子なので赤い首輪である。
また、私の朝の散歩は、いつもエプロンのポケットの中の夕顔、愛称夕ちゃんと一緒であった。
こうして、朝から晩まで夕ちゃんに明け暮れ、夕ちゃんの成長と共に三人の子等も成長し、社会人へ、結婚へと、わが家を巣立って行った。
夫と私と夕ちゃんだけの生活が何年続いたのであろうか。寝る時はいつも夫と一緒、昼は私の膝の上と、まるで家族に最も愛されていることを知っているかのように二人に甘えて暮らしていた。
そんな夕ちゃんと暮らすこと21年余り、具合が良くないのか、余り食べたくないように見える日もあるようになった。掛りつけの医者は、「当院始まって以来の長命の猫ちゃんだから大事にして下さい」とおっしゃって丁寧に診察して下さっていた。
そんなある日、夕ちゃんは犬の遠吠えのような声を出したり、同じ所をぐるぐる廻ったりするようになった。人間でいう認知症みたいなものだったろうか。私は出来るだけ外出を控えたり、出掛けても出来るだけ早く帰るように努めて、時間のある限り夕ちゃんに付き添っていた。
いつも絶対に独りでは死なせないと、誓っていた。注射して貰っても夕ちゃんの体は日に日に小さく骨張って行った。
朝の目覚めから夜まで時間の許す限り、私は夕ちゃんを抱き続けていた。
霙の降る日の明け方であった。夕ちゃんを抱いていると、私のパジャマが僅かに濡れ、はっとした。これが死の瞬間であった。苦しかったのか、痛かったのか全く声がなかった。夫を起し、二人で泣いた。人間を看るように介護を始めて半年ばかりの頃であった。2006年3月午前5時、享年21才6ヶ月、鈴木夕顔は永眠した。
子供等に電話し、弔いをした。
翌日、硬くなった小さな体をバスタオルに包み、裏庭の梅の木の下に家族みんなで埋め、合掌した。夕ちゃん本当にありがとう。さようなら。
それから5年、いつしか梅の木の下の土は平らになっていた。だが、猫好きの私は未だに猫を飼えずにいる。
