あり得ない負傷兵

2014年2月28日 オフ 投稿者: seiko

1月、オーストリアに行って来た。旅の話は別稿で書いたので省略する。

音楽の都、ウィーンにも乞食がいた。乞食なんて何処にでもいる、当たり前ではないかと言ってしまえば、それまでであるが・・・。

シェーンブルグ宮殿があるように、若く背の高いカップルが似合う街、美しい都市に、である。そんな中に、乞食が冬空の下、コンクリートの地面に座り、イスラム教の祈りのごとく頭を地につけ、お尻を逆さに上げている格好は、この街には何とも不似合なのであった。勿論、頭の方には、お金入りらしいコップが置いてあり、小銭がいくつか入っている様子だった。一日何時間、あの状態でいるのだろうか。冷えるからあんなことをしているより働けば良いのにと思いながら通り過ぎた。頑丈そうな体には見えたが、人には様々な事情があるのだろう、と思いつつ、何か可哀相で、足元に座布団を敷き、背中には掛布団でもかけてあげたいようであった。

物乞いと言って良いのか解らないが、流石に芸術の街、ウィーンを思わせる乞食にも出逢った。頭のてっぺんから、スーツ、足のつま先まで、全て金色、片足を前にしてポーズを取り、全く動かない、正に彫像そのものなのだ。通り過ぎてから、「あれ、もしかしたら人間?」と思って振り返ったら、足元に丸い入れ物があったので、小銭を二、三枚入れてみた。何と優雅にお辞儀を返してくれたのには、吃驚した。

イスラム教の祈りとは全く違うが、これ又、大変なことである。彫像ということは瞬きすらしない。ぴくりとも動かないと思わせるほど静止しているのである。やはり働いた方が早そうに思ったりもする。この凍て空に何時間同じポーズでいるのかは知る由もないが、本当に「大変ですね」と声を掛けたくなるようであった。


ここまで書いて来て、ふと思い出したことがある。3、4年前の花見の時であった。

靖国神社の前の通りでのことである。

何をどう間違えたのか、狂ったのか、今の時代(2010年頃)に、白い包帯を体中にぐるぐる巻きつけ、杖に寄りかかり片足で立っている若者、負傷兵が居たのだ。本当の話である。勿論、足許にはお金入れらしき箱が置いてある。これには本当に驚いてしまった。はてさて、しばらく見ていて、勘繰って申し訳ないが、間違っていたらご免なさい。昔、戦争時代を生き抜いた祖父か父親が、孫か子に、こう言った事をさせているとしか思えなかった。時代錯誤甚だしい。日本人として非常に恥しいことであり、外国人は、この情景をどのように捉えるのだろうか。このように思うのは私だけなのだろうか。

今でもあの情景を思い出すと不思議でならない。お金を得るということは、いずれにしても生易しいことではなさそうだ。

もうすぐ春、

日本の一番美しいお花見の季節がやって来る。日本列島に桜前線が走り、南から北へと、桜狩りを楽しむ旅人で賑わいを見せるであろう。東京の賑わいも言うまでもない。人は連れ立って、とりわけ、北の丸公園、千鳥が淵、靖国神社などを廻るであろう。

そんな折に全てをぶち毀しにする、あり得ない負傷兵など、とんでもない事である、あってはならないことと、強く心して貰いたいものである。