お母さんの味
2013年10月、某有名ホテルの食品偽装問題が世を騒がせた。五年ほど前だったろうか、某老舗料亭では使い廻しをしている問題もあった。
一流ホテルや老舗料亭で決してあってはならないことだ。無論、一般の店も同様であるが、どうして同じ様な問題が繰り返されるのであろうか。
提供者側(ホテルなど)の問題は言うまでもないが、消費者側にも多少なりとも問題がありそうに思える。というより、マスメディアがグルメブームを煽っている弊害のようにさえ思ってしまう。
例えば、某番組の三十万円と三千円のワインの飲み比べで当たったとか当たらなかったとか、又、チャンネルを廻すと、何処そこの店が美味しいとかの話が非常に多いようだ。
私はあまりテレビを見ないから、はっきり言えないが、消費者がグルメブームに一役買わされているようにさえ思えてならない。卵が先か鶏が先か走る由もないが、日本人の総グルメ化の時代のように思える。
この異常なグルメブームの中で、ホテルやレストランは客に美味しい食事を如何に廉価で提供できるか、如何に客を呼ぶかに汲々とするあまり、冒頭の食品偽装問題を引き起こし易くなっているのではないだろうか。
私も食べ歩きが大好きだからかもしれないが、あの店がおいしい、この店がおいしいと聞くと、直ぐ行きたくなる。要は、マスメディアやその他の情報に単純に踊らされている一人なのであろう。
今や、日本の和食がユネスコの無形文化遺産に認定され、外国でも回転寿司が出回り、大いに親しまれている。
そんな折に、食品偽装問題など決してあってはならない。これを大きな恥とし、心して受け止めるべきだと思う。それには、提供する側も消費者側も皆、心を一つにして、日本本来の食文化を改めて考えてみるべきではないだろうか。
私は稀に海外に行くが、日本ほどバラエティに富み、美しく美味しい食事は他に類を見ない。それでいてヘルシーであって、正に世界一と言っても良い。だから、その食の財産を日本人として大切に守っていきたいと思わずにはいられない。
そもそも食と言うのは何であろうか。言わずもがな、食は生きる源であるが、同時に楽しみの一つでもあることに間違いがない。
NHKの「ごちそうさん」の昭和十年代ではないが、家族揃ってテーブルを囲み、今日あった事を話しながら食事をする。何気ないこの毎日毎日の繰り返しが、夫婦の和、親子の和、家族全体の和を造っていく。言い換えれば、食卓とは明るい家庭への発信台なのであろうと思えてならない。
外食も楽しいが、今盛んに「食育」と言われているように、食卓に「お母さんの味」が賑やかに並んでいたら、より一層会話が弾み、笑い声が絶えない家庭になるように思えるのである。
