みんなの一票
「特定秘密保護法」が12月6日成立した。折りしも忘れ得ぬ真珠湾攻撃の12月8日の2日前である。この日を重ね合わせたのは果たして私だけであろうか。何とも恐ろしいことに思えてくる。極論を言えば、言論の自由が失われ、いつ戦争が起ってもおかしくないということになる。正に時代逆行の感である。
それにつけても今回のような問題が起きた時、いつも思うのは「選挙について」である。私達の個人の一票〱がこのような結果になっているのである。選挙とはいかに大切か考えるのに十分な価値のあるテーマである。
○○党から××党へ、××党から○○党へ、国民は裏切られ、期待し、又裏切られ、期待し、その連続で投げ出したくもなるのである。でもそのようにばかり言ってはおられない。言うまでもなく行きつくところ、政治、経済全て、私達個人の生活を直撃するからである。他人事ではないのである。ここを心しておれば、もっと投票率は高くなるはずなのにと、いつも思うことである。
若者の棄権率の高さがよく言われているが、もっと政治に関心を持てるような、又選挙に行きたくなるような政治を心すべきである。
ということは鶏が先か、卵が先かになって来る。これからの若者の未来を考える時、一考どころか、百考の余地があると思うのである。
それにしてもおかしく思われるのは、選挙間近になると知人が親しい友人に変わることである。「○○党と○○さんに入れてね。」と言うのである。私は内心「私の一票がどうして貴女に左右されなければならないの?」と思うが、「まあ」などと言葉を濁している。逆に臍曲りの私は入れようと思っていても入れたくなくなったりする時もある。選挙権を得るようになって当たり前であるが、一度として頼まれたからと言って、自分の主義主張と所属する党の異なる人に投票したことはない。
言い過ぎかもしれないが、どんな事が起ろうと、どんな法案が可決されようと、冒頭の特定秘密保護法も、結局は私達一人一人が承認していることになる。
なぜなら、私達が心して選んだ人が、熟慮して決めた結果なのだから。
