障子の破れ
この街が開発されて40年余りになるという。
開発当時は、何処の家からも子供等の声が溢れ、商店街は万国旗が棚引き、大変な賑わいだったそうだ。それに遅れること十余年して、私たち五人家族も移り住むことになったが、まだ開発当時の面影は残っていた。
それから30年、我が家は、三人の子等が成長して巣立って行った。余所の家も似たり寄ったりで、夫婦二人暮らしというのが多いのだろう、子供等の声など滅多に聞かなくなった。そして、商店街は、かつて子供達が大好きだった玩具屋も本屋も、一軒、二軒と閉店し、シャッター街となり、遂にゴーストタウン化して行った。
新しく出来るのは、寂しい話だが、老人施設やケアホームの類ばかりである。正にこの街に住む人達にふさわしいものになったのだろう。
そんな中、ぼちぼちと古い家は壊され、新築の家が建つようにもなって来た。それほど大きいとは言えないが、それぞれに洒落たプロバンス風か、何風か知る由もないが、モダンな可愛い家である。
ところが。その築1、2年の新しい家に、結構よく見るのが早くも障子の下の方の破れである。
「あ、やっている、やっている。この家にも小さい子がいるのだ。」と、私には微笑ましく思えて来るのである。未来を繋ぐものがここにもあるのだ。輪廻転生というのだろうか。こうして次の世代へと、この街も変わって行くのであろう。
ある日曜日の昼下がり、我家のチャイムが鳴った。ドアを開けると、小さな2才位の可愛い男の子と若い両親らしき男女が立っていた。引っ越しの挨拶に来たという。とても感じの良い家族であった。
夕餉時、真向かいに引っ越して来た三人家族の話をしたら、三人の子等の幼かった頃を思い出したか、湯気の向こうの夫の顔が笑っていた。
カテゴリー世の中、社会
